■母親賛歌




母親が我が子を腹の中で育み、

 10月10日もの間、その顔を、その声を、心待ちにしながら

 期待の中にも不安・焦躁に我を失いそうになる気持が

 絵を描く・文章を書くという行為をやっていると

 男の分際でありながら

 100分の1か、1000分の1か、いや10000分の1かでも

 ほんのわずかでも分かる・・・いや想像できる。


もっとも子を産み育てる母親の行為に比べれば

 創作活動などほんのちっぽけなものだろうと思う。

 

それでも自分の中にある“見えないもの”を形とし、

 さらに少しでもいいものを作ろうとする行為は

 “生まれてくる我が子を心待ちにする母親”のそれと気分は同じであり、

 うれしく、楽し、愛おしい反面、非常に苦しいものである。


安産の時もあれば、生まれるまで本当に苦しい、

 死にそうになるほど辛い時間が続くこともある。

でもそんな苦しい中で「我が子を見たくないのか?」と聞かれれば

 やっぱり「見たい」と答える。



だからそんな中から生まれた作品というのは苦しかった分だけ余計にかわいい。


いざ生まれてからは時を経て

その出来の悪さを後悔したり、嫌悪することさえあるが

やはり自分の血の肉を分けて出でたる我が子、

それを愛せない親はないだろう。

ほったらかしにしているようで

どれだけ数が増えたとしてもそれを忘れることはない。

それを描いていた時の風景や聞いていた曲さえ思い出される。

思い出が心に刻み込まれている。



何度か個展を開いたことがあった。



額装しておめかしして、

知人・友人・知らない人にまで我が子の姿を見てもらおうとはがきを送った。

我が子の晴れ舞台を心待ちにした。

りりしくなった我が子の姿を一枚一枚写真に納めた。


当日がやってきて、色んな人が我が子を褒めてくれる。

人気者もいれば、全く人気のない子もいたが、

その子のいいところはボク自身がよくわかっている。



それでよかった。



半数は買い手がついた。


個展が終わればこの子達は我が手を離れていくのだ。

デジタル全盛の今と違って、その頃は作品は1枚っきりだ。



買い手がついた喜びの反面、ボクはもの悲しくなった。

“お金はいらないからやっぱり自分の手元に・・・”

そんな思いもあったが、買ってくれた人達が大事にしてくれて

 役立ったほうが素晴らしいだろうと思った。


昔は好意で友人によく絵を進呈していた。

でも数ヶ月後、その友人の家に行ったときに

 押し入れの中で使われなくなったおもちゃといっしょに放置されていた自分の絵を見た。

ボクは激怒して自分の描いた絵を連れ帰った。

それ以来、友人にむやみに絵をプレゼントしなくなった。


やっぱり我が子はどんな子でもかわいいのだ。

 

新しい命はこの世で一番大切なもので、それは無限の可能性だ。

それを育む母親こそ、この世でもっとも崇高な芸術家だと思う。


わが母を偉大だと思う。

母を想うと勇気が湧いてくる。










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